徳川の森

沿革・歴史

大能林業が管理する高萩の山林は、延宝6年(1678年)、水戸徳川家2代光圀公が南部藩より馬13頭を取り寄せ、水戸藩の軍用馬を飼育するために「大能牧場」を開設した徳川家の山です。その後、9代齊昭公が「新牧」を新たに営み、さらに11代昭武公が隣接する旧里美村(常陸太田市)の天竜院地区にも牧場を開設しました。

この山林は、齊昭公の7男である徳川幕府15代将軍慶喜公も訪れ、弟である11代昭武公とともに狩猟を楽しんだ由緒ある土地です。

水戸徳川家林業の始まりの地

大能御殿から東へ15分ほど山道を歩くと、荒山山頂に至る尾根に出ます。
この尾根の2つの大きな石(写真)に慶喜公と昭武公が腰を下ろし、明治15年(1882年)に最初に植林を始めた地区を見下ろしながら、「徳川の森」が期待通りに育っていることを語り合ったと伝えられています。

この地こそ、近代日本の幕開けの中心人物であった徳川慶喜公とその弟、昭武公が眼下に広がる太平洋を眺めながら「徳川の森」の将来を語り合った地です。

やがて、明治38年(1905年)7月、13代圀順公が、ドイツ林学を学び帰朝した東大教授川瀬善太郎博士に依頼し、民有林で初めて「森林施業方案」を編成。
ここに現在の大能林業の基礎となる、近代的な林業経営の礎が確立されました。以来約100年の時を経て、現在の人工林率は全体の83%にまで達しています。